本稿は、前号に引き続き、三重県伊勢市浦口の来田尚親氏所蔵文書のうち、貞享二(一六八五)年の「江戸御祓配帳」を紹介する。この史料も断簡であり、表題はすでにみられない。前号まで紹介した延宝五(一六七七)年の「江戸・関東御祓配帳」と記載内容が類似していること、檀那の範囲が江戸であることから、表題は筆者が翻刻にあたり仮題としてつけたものである。史料中に「貞享二年乙丑ノ五月吉日」とあることから、貞享二年に作成されたと判断した。寸法は縦二六.ニセンチ、横一八.九センチで、丁数は三六である。この史料では、延宝五年の「江戸・関東御祓配帳」で記載のみられる地域とみられない地域がみられる。延宝と貞享の二つの史料を比較・検討することにより、一七世紀における江戸の都市形成の一端を明らかにすることができると考え、今回翻刻することとした。