庭訓往来の撰述年代、また、撰述者は不明である。しかし、その内容から推して、撰述は南北朝後期、乃至は室町時代初期、撰述者は中層武家がといわれている。
庭訓往来は、十二月往来型の編集形式をとりながら、消息詞や雑筆往来にも通ずるような性格を有するが、教科書としての編集体裁が整っていること、採録された教材が充実していることなどから、その後、めざましい普及を見せ、江戸時代には、出版業の成立とともに、庶民教育の向上にあずかって大きいものがあった。
江戸時代におけるその刊行点数は、従って、厖大なものではないかと推測される。加えて、当時は、重版も再版も、多分に行われたようであるから、その回数や点数を求めるには、かなりの困難が予想されるのではなかろうか。
こうした問題については、既に、石川謙・石川松太郎編纂『日本教科書大系 第三巻 古往来(三)』(講談社、昭和四十三年十二月)、その他の論考において詳述されてもいる。しかし、それが、あまりに多いためか、刊行状況や書誌的問題についての具体的な調査は、いまだ、十分ではないようにみうけられる。
本稿では、先学の研究・調査に導かれながら、庭訓往来の刊行状況、特に、刊行年次と出版元との関係につき、概観していこうとするものである。まだ、調査途中の荒削りの段階にあって、今後に加筆、修正していくべきところが大きいが、そうした調査遂行のためにも、こうした整理は必要ではないかと思われる。