島根大学教育学部紀要. 教育科学

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島根大学教育学部紀要. 教育科学 14
1980-12-25 発行

子どもの認識発展と教授学的指導との相互関係

Wechselbeziehung zwischen Erkenntnisentwicklung der Schuler und didaktische Fuhrung
山下 政俊
黒田 耕司
ファイル
内容記述(抄録等)
 授業は,たとえ,知識を応用し,技能を訓練する練習過程を含んでいるとしても,その中核としては,子どもが働きかける対象としての教材を独自に反映=構成する過程と,その結果を子どもが相互に伝達などする組織的過程との統一された認識過程である。しかし,ここでの認識過程は,他と異なる独自の矛盾をもっている。それは,授業において子どもが認識する事実や法則は,すでに先人によって認識され,教育的に準傭された知識であり,それを認識するということである。このことから,子どもの認識過程とそれの指導をめぐって,二つの困難さが発生する。
 それは第一に,認識とは,人類にとっての新しい知識の獲得であり,この世界に関する人類の知識を増加させることである。ところが,授業において子どもがおこなう認識は,科学者によって発見され,教師にとっても既知である知識の再認識・再発見である。しかし,それにもかかわらず,それは,客観的には既知であるものの主観的に全く未知の認識・発見である。子どもはそのような認識活動により,人類の新しい知識を所有する人々の仲間入りをするのである。したがって,授業で教師は,子どもが自らにとって新しい知識の獲得であり,この世界に関する自らの知識を増加させる活動を,たんに知識習得過程としてではなく,いわば科学者と同じような感動と発見を伴なう認識過程として組織しなければならない。教師は,つまりこの既知を未知として子どもの認識(発見)対象にすることと子どもをそれに働きかけ,それを認識してゆく主体にすることを任務としている。
 第二は,歴史的な文化遺産の獲得は,教師がたんに知識を外部から注入して,子どもに受容・暗記させても,すぐ達成されるのでなく,子どもの経験にもとづいた認識活動を媒介しなければならないと同時に,それにもかかわらず,その内容は子どもの経験からは離れており,教師の教授を媒介しなけれぱ獲得できない。一方で経験にもとづかないでは,真に成果は得られず,つまり学習は起こらず,他方,経験待ちでは,経験にない内容の教授はできないという矛盾が存在する。このような二つの矛盾から,子どもの認識とその指導をめぐって偏向が生じることになる。
 本論では,授業を子どもの認識過程とすること,その過程での認識発展の様態とその指導との内的連関について,さらにそれを指導する一つの方法である授業対話の認識指導における可能性と具体性について述べようとしたものである。