私は、昭和二十六年の秋廣島大學において開催されたIFEL(Institute For Educational Leadership)の理科致育の部に参加した。米國コネチカット州立教育大學の客員致授ロバート・ケー・ウィクウェア博士がこの部の顧問で、博士(當時三十八歳)は、彼國で発行されておる理科致育の名著を次々に運んで皆に紹介されたが、それらはいづれもご三十年来の比較的新しいものばかりで、古物は一冊だになかつたように覚えている。致科書で見せられたものは、ただ一種ウインストン会社の一九五一年の初版にかかる標題のもののみであつて、博士がたずさえられたのは、その中の初の三冊で、インクの香り未だに高いI Wonder Why,Seeing Why,Learning Whyであった。四~六巻はExplaining Why,Discovering Why,Understanding Whyになつている。一般に教科書の研究はその時代における致育の思潮なり學習指導の方法なりを、間接的ではあるが手つとり早くうかがうに便利であり、それに、博士によれば米國では、一般に理科致育の目的ば、むつかしいかたぐるしい自然科學をたやすく國民に取りつぐにあるので、第一次世界大戦の終了した一九二〇年以後國民が科學の重要性に氣づいて始めたものだとされてるから、それでぱ具體的にはどのようにして取りつがれているのだろうかと、上述三冊の教科書を借りて調べてみた。その結果は、日本が戦争中に出した國民學校理科書の行き方と、よく似ているが、取材のセンスを異にしており、學習指導法に多くの學ぶべき點を見出したので、ごこに紹介する。
順序として、先す一~三巻を通じてみられる取材ならびに指導法の特色を概括し次いで各巻ごとにその内容を掲げ、あわせてその特色をまとめる。特色のごとについては私の獨断あらんことを恐れているから、各巻の内容に基いて御叱正を賜わりたいものである。くどくどしく内容を忠實に紹介するゆえんはそこにある。