島根大学論集. 教育科学

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島根大学論集. 教育科学 11
1962-03-15 発行

剣道の試合の場に於ける技術分析に表れた体制理論(その一)

An Organization Theory Seen Through the Analysis of the Skills Shown in the kendo Match (Part 1)
福田 明正
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内容記述(抄録等)
体育に実用性を越えた深い目的を樹立したのは古代ギリシヤにさかのぼられるが、我が国の剣遺が生死の岩頭に立った人間窮極の場において生れて以来、人間修練の用として、無用の用を果し、特に精神的態度において社会性の育成に貢献したことは歴史と共に古い。剣の持つ正しい理合は、相手の虚を撃ち、心の隙を教え合うものであって、撃つ間、撃つ機、撃つ態度の基本的事項は、現代物質文明の合理主義では理解出来ない深い哲理を蔵しており、百練千磨の修練を重ねなければ決して到達することが出来ない絶対無め境地であり、自我を発見することによってはじめて理解出来るものである。剣遣の勝敗を決定するものは全人間的な力の差である。実力はあったが時のはすみでまけた、というような偶然性や、運命性をあてにすることは、自已とは別に何か不可解なものを信することである。事実は全く反対で、競技者の行動の一つ一つが必然的に彼に皈って来るものであり、偶然性にたより、運命の神に祈ることは苦しい努力を重ねる代りに自己の地位を虚飾することで、彼自身の本質的な心の底をゆさぶる様な自己発見は出来ない。試合におげる相手はあくまで他人であり乍ら決して自已と無関係の他人ではなく、自己も又単なる自己でない事に気がつく場が試合の場である。そこには人間の奥底が最も純粋な姿で現われ、而も試合の一つ一つに形威されてゆく人間の根元的生命に触れるものである。叉それは人間の本質的あり方を理解し体験することで、自己自身の絶対境が、実は自己によって照らされ、競技することは自已と斗うことであることに気がつく。そして精進を重ねたもののみがいつか理合の奥義をつかみ、道の奥義に到達し永久普遍の極地に達することが出来るものである。
 本論文は試合の場における技術を分析して個人試合における心的体制と、団体試合における組織された体制との相関を発見することが目的である。例えば個人試合の3本勝負において1本目を相手方に先取された場合に如何様な試合結果が出るかを分析し、それと団体試合において先峯が負けた場合如何様な試合結果が出るかを比較考察して、個人試合における体制と団体チームの体制との関係を考察するということが主な目的である。そのためには個人試含の技術を分析したのであるが、ただ打突部位と打突本数のみを以って考察した点が不十分であり、技の特質を紬かく分析すれば、(例えば先の技、対の技)もっと正確性がますものと思われる。それは今後の問題として研究を進めたい。
NCID
AN00108117