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タイトルヨミ
ペスタロッチ ノ コクミン キョウイクロン AN DIE UNSCHULD オ チュウシン ニ
日本語以外のタイトル
On Pestalozzi's National Education
ファイル
言語
日本語
著者
大久保 哲夫
内容記述(抄録等)
ペスタロツチ(J.H.Pesta1ozzi.1746−1828)の生きた時代のヨーロッパは激動期にあつた。かれの祖国スイスにおいても、カントン(Kanton州)により統治形態の相違はあつてもひとしく一部特権階級が政治権力を掌握し、民衆は重税と圧政に苦しめられていた。また当時は産業革命の勃興期でもあり、都市の商工業発達にともなう資本の都市への集中化は、農民を隷農の境地へ追い込み、多くの農民は工場へと吸収されていつた。このような状況のなかで貧困と圧追にあえぐ民衆は各地で暴動を起こしており、フランス革命の影響により1798年にはスイス革命がなされた。ペスタロツチの生涯にわたる豊富な活動もこのような民衆の救済と社会の改善を求めたものであることはいうまでもない。そのためかれは時としては貧児や孤児を集めて学園を開き、その教育にあたり、時としては文筆活動により民衆の啓蒙をめざし、さらには当時の為政者たちに民衆のための政治を説いた。しかも、かれが偉大な教育者として・近代教育学を築いた一人の先駆者として後世に知られているように、根源においてかれの活動は民衆の教化にあり、それによりかれは民衆に自己救済への道を開こうとしたといつてよい。かれが為政者に民衆への愛を求めるとき、それはまずなによりも民衆の教化を意味するのである。したがつて国民教育の実現はかれの終生の課題であつたといつても過言ではない。
 それをいま十分論じる余裕はないので、わたくしは上のような観点に立つてペスタロッチの後年の代表作「わが時代とわが祖国の純真な、真面目な、高潔なひとびとに訴える」“An die Unschuld,den Ernst und den Edelmut meines Zeitalters und meines Vaterlandes、(1815)(以後「純真者に訴える」と略す)により、かれの思想の本質をあきらかにしたい。なぜなら、この著作は混乱した時代杜会への発言であり、また本書成立までの長年にわたる思索と実践により、かれの思想は十分成熟しており、それがここに結晶されているからである。そこでわたくしはかれの前半生の代表作に示された諸思想をふりかえりつつ、この「純真者に訴える」を中心にしてかれの国民教育論について考察を試みたい。
掲載誌名
島根大学論集. 教育科学
10
開始ページ
60
終了ページ
71
発行日
1961-03-20
NCID
AN00108117
出版者
島根大学
出版者別表記
Shimane University
資料タイプ
紀要論文
ファイル形式
PDF
著者版/出版社版
出版社版
部局
教育学部
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