タイトルヨミ | ジュウドウ ノ キソテキ ケンキュウ 4
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日本語以外のタイトル | A Fundamental Study on the Judo(IV)
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ファイル | |
言語 |
日本語
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著者 |
藤岡 正春
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内容記述(抄録等) | スポーツ競技は,規定の在り方がそのまま競技の形態や内容を決め,競技全体の流れのみならず個々の技術にも大きな影響を与える。このことは,現在の柔道の在り方にも言える。山本氏は「国際柔道連盟から逆輸入の形でどんどんと審判規定が改定され今や隔世の感がある……時代の要請とは言え,全く柔道が変わってしまった。……こういったことが柔道であろうか,柔能く剛を制するも何にもあったものではない」と言い,J.B.ハンソンロウ氏は「西洋の柔道スタイルは日本古来の柔道スタイルから遠く離れてしまっている」と言い,「西洋の柔道とは別の講道館を中心とする国際的組織によって海外に拡める機会が与えられない限り,本当の嘉納柔道は実質的に絶えてしまうことは,まず間違いなかろう」と言っている。このように,現在の柔道は重大な岐路に立っていると言え,その早急な対策が必要である。
この柔道の原理について嘉納治五郎は「外国人がその理論を聞いて何にも世界に比類のない巧妙なる修行であると云って嘆賞するのは,全くこの柔の理に基づいて勝ちを制するという点にあると思ふ」と言っている。同様のことを小泉八雲は Out of East(ボストンで出版)に「柔術」と題して「柔術の真の驚畏すべき点は,単に達人の目覚しい手練にあるのではなく,実に此の術の上に表われている一種無類の東洋思想の中にある。……日本人は柔術の法を萬事に施している。質は自己を持し,極度まで敵の力を利用する道を心得ている。彼は比類なき自己防衛の技術,驚くべき国民固有の柔術によって自己を守りつつある」と言い,武技としての柔術より日本の精神文化「日本観」・「日本人観」として欧米に紹介している。このような柔術観を抱かせた当時(熊本第五高等学校当時)の柔道の原理は「柔の理」によって説明されていた。この考え方も明治33年「精力を有効に活用する」(雑誌・国士)という考え方に発展させ,以来幾多の段階を経て大正11年1月,柔道の修業目的を「精力善用・自他共栄」の八文字に集約して柔道原理の完成をみた。 この柔術又は柔道の「柔」という用語の初見は,関口流・関口柔新心流自叙に「余嘗_テ従_<レ__<イテ>>命_ニ適_<二__ク>東武_<一__ニ>,時_ニ挙_<レ__<ゲテ>>世_ヲ有_<二__リ>称_<レ__<スル>>柔_ヲ者_一(寛永八年・1631年)」又「俰は,嘉良喜随筆1の11に,関口柔心と呍ふ人,俰を始めた故,柔と呍ふ」とあり,寛永の初期に柔術という名称が使われ始じめたと考えられる。この柔術で最も早い成立をみた竹内流(天文元年・1531年)では「捕手・小具足」・「小具足・腰之廻」又荒木流では「挙法」等と言い,初期の柔術は用兵を以て術名としている。これに対し,渋川流,柔術大成録,巻之1,名儀に「柔は柔順にして此形をして能く心に柔順ならしむる方術を呍ふ意にして,柔術と名付たるなり」と言い,用兵以外の術理からくる思想的表現を以て術名としているところに特徴がある。 この柔術の術理を起倒流,天之巻に「起倒とは,をきたをると訓ず,起は陽の形,倒は陰の形なり,陽にして勝ち,陰にして勝ち,弱にして強を制し,柔にして剛を制す。我力を捨て敵の力を以て勝つ」又,真之神道流,上檀の巻に「夫_レ人_ノ以_<レ__テ>力_ヲ争_<エバ>,人又以_<レ__テ>力_ヲ拒_<レ__グ>之_ヲ,何_ヅ<益乎>^^^<アランヤ>。及_<二__ビ>兵道之術_<一__ニ>,因_<レ__リ>敵_ニ転化変動_<スルハ>常也。謂_<ラク>観_<二__テ>楊柳靡_<一__<レ__<クヲ>>>風_ニ,得_レ為_<二__<ルヲ>>和徳大悟之一如_一」と説いている。 このように,柔術各流派の表現は異なるが,術理の基となる考え方は「相手の力に逆らわず順応しながら,その力を利用して勝ちを制する理合」である。即ち「柔の理」と言われる原理である。 |
掲載誌名 |
島根大学教育学部紀要. 教育科学
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巻 | 19
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開始ページ | 27
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終了ページ | 36
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ISSN | 0287251X
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発行日 | 1985-12-25
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NCID | AN0010792X
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出版者 | 島根大学教育学部
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出版者別表記 | The Faculty of Education Shimane University
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資料タイプ |
紀要論文
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部局 |
教育学部
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