Studies in language and culture : memoirs of the Faculty of Law and Literature

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Studies in language and culture : memoirs of the Faculty of Law and Literature 10
2000-12-25 発行

視線のヒエラルキー : William Faulknerの ″That Evening Sun″

The Hierarchy Inverted by the Gaze : William Faulkner's "That Evening Sun"
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Description
短篇集These13(1931年9月)に収められた"That Evening Sun"には、制作段階を示す三種類の原稿があることが確認されている。"Never Done No Weeping When You Wanted to Laugh"と題された手書き原稿は、本短篇の草稿であると考えられている。スクリブナーズ社に断られた後、H.L.Menckenに送られたタイプ原稿は、上記の手書き原稿を改訂したものである。そして、Menckenの示唆により修正を加えて、1931年3月にAmerican Mercury,XXIIの巻頭を飾ったのが"That Evening Sun Go Down"である。"Never Done No Weeping When You Wanted to Laugh"は、24歳のQuentinが9歳の時目撃したことを語るという枠組をまだ備えてはいない。この枠組を採用したAmerican Mercury版、These13版では、語り手Quentinが、行為者、目撃者、語り手という三つのレベルを行き来することで"oscillating relationship between these levels"を作り出している(Ferguson 11O)。そして、Quentinの寡黙さに、子供の精神的未成熟さと表現力の限界と青年のQuentinの感情を同時に反映させるのに成功している。
映画の場面展開を思わせるかのように(Beck 291)、Quentinは目撃される人としてのNancy像を次々に提示する。映画のヒロインは、彼女のクローズアップされた裸体を、欲望の混じった視線によって支配、所有される。一方、我々の前に提示されるNancy像は、作者William Faulknerが子供の視点の高さまで降りて捉えたものであり、幼いQuentinが意味も分からないまま彼の目で捉えた像である。白人優越主義、家父長制を特徴とする南部社会にあって、黒人女Nancyは、二重の意味で周縁的存在である。Quentinは、彼女にどのような視線を向けているのであろうか。
比喩的にも、白人の世界と黒人の世界との境界を意味している"ditch"(309)へ降りた時のことを、Quentinは“I couldn't see much where the moonlight and the shadows tangled."(309)と語っている。人生経験の無さ故の無知という暗がりの中で、目が利かなくて分からなかったのであるが、子供の彼は、自分は一瞬目撃したのであり、自分にとって未知の世界があるということを感じ取っている。
本論においては、Nancyに向けられた視線を考慮しながら、Quentinの語りにおける寡黙さの意味を考察する。