島根大学論集. 人文科学

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島根大学論集. 人文科学 5
1955-02-15 発行

国宝南海寄帰内法伝の訓点

[Otsubo, Heiji]
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a006005h006.pdf 3.24 MB ( 限定公開 )
Description
南海寄帰内法伝(略して、南海寄帰伝、または寄帰伝といふ。)四巻は、唐義浄の著。義浄は、高宗の成亨二年印度に遊び、各地を遍歴すること二十五年、則天武后の証聖元年に帰朝した。寄帰伝は、その間における彼の見聞と仏法流通の状態とを記述したものである。
わが国における寄帰伝の伝本で、わたくしの見ることを得た最古の写本は、天理大学図書館、及び国立京都博物館等に分藏されてゐる三巻で、前者は巻第一・第二の大部、後者は巻第四の一部であり、共に国宝に指定されてゐる。巻第一は、巻首凡そ四枚分と、中間五枚分とを欠き、序文の半、大正新修大蔵経(以下略して大蔵経といふ)でいへば、二百六頁上段第一行「溢平川決入」から、「九受斎軌則」の中途、二百十頁上段第二十七行「云所有」までと、同条二百十一頁下段第一行「食但著三衣」から、巻末「軌鑒於精鹿」までとが、都合用紙十六枚に記されてゐる。巻第二は、巻頭の「十衣食所須」から始まり、「十五随意成規」の中途、二百十七頁下段第十三行「初篇若犯」まであり、巻尾凡そ四枚分を佚し、用紙十八枚である。後世補修し帖形に改める際(今は再び巻物になってゐる)用紙の継順を誤ったと見え、十八枚が、1・2・3・6・7・4・5・17・18・8・9・10・11・12・13・14・15・16の順序に乱れてゐる。巻第四は、「四十古徳不爲」の一部で、二百三十二頁上段第二十六行「見聞莫不」から、二百三十三頁上段第九行「者詳密」まで、用紙三枚足らずの断簡に過ぎない。三巻とも、一枚凡そ二十六行、一行凡そ十七字を記し、書写に関する識語を欠く。ただし、すべて同一人の筆蹟で、雄渾謹嚴な楷書は、一見奈良朝の写経たることを思はせるものである。
巻第一の末、巻軸に近いあたりに、「僧成禅之本」と墨書され、巻第二の終には、
 明治二十六年夏日江州石山寺法輸院主
 之所贈巻首有知足奄印是同寺
 中古好古之師也云
        随心院門跡智満誌(印)
 此巻蓋亦同寺一切経中之零巻也巳
とあり、巻第一がかつて「成禅」といふ僧の所有であつたこと、また、明治二十六年夏まで、巻第二が石山寺に藏せられてゐたことが分る。恐らく一切経の一部として、古くから同寺に伝へられたものに違ひない。巻第一・第四の両巻もまた同様だつたのではないか。
巻第二・第四の両巻は、共に早く複製本が出てをり、前者には神田信暢氏の、後者には田山信郎氏の解読が添へられてある。巻第一は、いまだ複製されたことなく、従つて他の両巻ほどよく知られてゐない。三巻とも全部に亙つて朱点があり、巻第一の初七枚ばかりには、朱点の他に、黒点も加へられてゐる。共に加点の識語を欠くが、遅くとも院政時代のものと思はれ、国語史上有用な文献として、すでに一部国語学者によつて利用されてゐる。わたくしは、前後二回に亙つて調査する機を与へられ、一通り全文訓読の業を了へることができたので、この機会にその大要を報告し、諸賢の参考に供すると共に、叱正を仰ぎたいと思ふ。
NCID
AN00108183