敗戦直後の昭和23年ごろ,大河内一男教授の社会政策理論をめぐって社会政策「本質論争」が展開された。この論争は第2次大戦中の社会科学研究の空白のなかで,高い科学的水準を維持してきた大河内教授の理論を摂取し,これを批判的に克服して新しい理論を展開しようとするエネルギーの奔流であったといわれる。しかしこの論争は意外にもいちじるしい不毛性を暴露したのであった。論争の問題点についてそれぞれの論者が各様の理論構成を試み,ついに論争のなかから一致点すらみいだせない状態となった。論争は結論をえられないままに,昭和30年ごろ中断されてしまった。それ以来,社会政策研究者の関心は労働組合論,労働運動史,賃銀論,労働市場論,社会保障論などに分化移行して,この方面での具体的実証的研究がすすめられたのである。そしていまそれから約10年が経過し,実証的研究もいくつかの成果をもつにいたった。このような戦後の社会政策研究のあとをふりかえって隅谷三喜男教授は「あらためて社会政策の『本質』について再論すべき時期がきたのではないか」と,かの論争を再開すべきことを提言されている。社会政策概念が混乱したままの現在,注目すべき発言といってよいであろう。しかしそれならば社会政策論はどのように「再構成」されねばならないのか。この点についての隅谷教授の見解は,われわれにとって必ずしも納得のいくものではない。批判の多い「窮乏化論」という考え方をなお払拭していないばかりでなく,社会政策論の「再構成」にとって根本的な方法論の明確さが欠けているように思われる。かっての社会政策論争が不毛におわった最大の原因は社会政策の個々的な現象を基準に議論がおこなわれ,社会科学としての全体的な視野が欠けたことにあったのではなかろうか。いま社会政策論の「再構成」をいうとき,この点への徹底した反省のうえに,,社会科学の基本的な方法を明確にし,問題を設定しなおさなければならないと思われる。いいかえれば窮乏化論をしりぞけ,経済学の方法にのっとった問題設定がおこなわれなければならないように思われるのである。