人間の心理が単純に割り切れるものでなく,時に相矛盾する精神力動を併せ持つことがあるのは,我々の日常経験,とりわけ対人関係を振り返れば自明であろう。人が孤独を恐れ,他者を求めるのはごく自然な心情であるが,その一方でなぜか他者を避け,引きこもろうともする(堤,1995)。かつてショーペンハウアー(1973)が「山あらしジレンマ」として描いた接近・回避葛藤はその典型であり,人が同一の対象に対して肯定,否定の両価的感情を有することがあるとの認識は,広く臨床に携わる者にとっての要諦でもある。
他者に対する両価性(ambivalence)は次の3つの位相において成立可能である。まず,自己に対する我の両価性。自己に対する嫌悪と自己愛の併存は境界例をもちだすまでもなく,特に青年期では一般的,かつ顕著である(Beebe,1988)。次に親密な他者(汝)に対する両価性。愛する者に対する愛と憎しみの二重の感情は永遠の文学的テーマである。そして他者一般(彼ら)に対する両価性。初対面の他者との出会いや,公的な場面での自己提示などでは,多くの人が緊張や羞恥を経験するが,そこにも他者に対する両価的感情が内在する(Asendorpf,1989)。
近年,ボールビィに端を発する愛着理論において,密接な関係にある他者に対する愛と憎しみの両価的愛着タイプは,乳児期の母子関係から成人期の異性関係に至るまで,生涯を通して普遍であるという議論が盛んである(Bowlby,1973,1977,Bretherton,1985,Simpson,Rholes&Phillips,1996)。
現代の若者たちの,おとなから見れぱ一見不可解な対人行動のスタイルに対しても,その基底に他者に対する接近−回避葛藤を見る視点からの議論がある。一時期新聞紙上で「ふれあい恐怖症」なる語題が喧伝されたのもその一例である。ふれあい恐怖症とは,授業やクラブ活動などの浅い付き合いは無難にこなすものの,その後の雑談や会食などの深い付き合いになると不安感が高まり,逃げ出してしまうというものである(朝日新聞,1989)。
彼らの行動の根底に,果たしてそのような相反する志向性が実際に存在するのだろうか。残念ながらこれに関する実証的検証は意外に少ない。例えば最近の対人不安心性に関する国内の幾つかの研究論文(堀井・卯月・小川,1994,堀井・小川,1995,岡田・永井,1990,内田,1995)でも,他者に対する両価性についての言及には乏しい。
本研究では大学生を対象に,人と人とのふれあいに対する肯定,否定の二重の志向性の存在を検証するとともに,いまだおとなになれない後期青年期の,他者に対する微妙で複雑な心理の分析を試みる。