島根大学論集. 教育科学

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島根大学論集. 教育科学 12
1962-12-20 発行

生活人間学の構想

Preface to a Life-Situation Anthropology
[Mizoue, Yasuko]
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「日本家政学」が誕生して十数年になる。1961年(昭・36)の学会発表の内容に対して,外から厳しい批判が出て来た。それは「家政学」独自の対象領域がないというのである。即ち,「家政学」の名に於て研究されているものは,物理学,化学,医学,薬学,経済学,心理学,教育学,法学,農学等の諸科学の領域に吸収されるからである。ただ研究対象が家庭生活のなかにあり,それに関係しているという点に於てのみ,「家政学」といっているにすぎないというのである。この批判はまことに正しい。何故ならば,凡ての科学の自立性は,その対象の自立性と,これに対する一定の見方,態度を要求する。そして,一定の対象を一定の見地からながめることによって,これを規定する一定の学的方法が定まるからである。むろん,科学には原理,原則の確立を主目的とする基礎科学,純粋科学と原理,原則を応用して,人間生活を合理化し,より合目的たらしめようとする応用科学,実用科学とがある。一般に,基礎科学の対象,研究方法は明確に設定しうるし,それ故にこそ純粋科学でありうる。しかし,応用科学の対象は明確でない。従って一つの原理.原則,一定の方法で体系化することは困難である。例えば,農学の対象は農業という複雑な生産活動である。これをより合理的,より合目的にするためには,あらゆる科学知識を必要とする。これと同じことが「家政学」についてもいい得る。それは家庭生活現象を対象にし,それをより合理的,合目的的にするための研究であるからである。しかも,家庭生活は尽し難く複雑,多岐なものである。これらの諸現象をただ家庭生活のなかにあるものとして,諾々の学問の原理と方法をかりて,理論化,体系化し,これらを「家政学」と呼んでいるところに,雑学と批判される所以がある。いうまでもなく,家庭生活がある限り,これを研究対象とする「家政学」は成立する。そのためには,雑多な対象を一貫した原理と態度によってながめ,処理し,体系化せねばならない。ポアンカレー(1854~1912)が「家屋は石材からなる。同様に経験科学は事実からなる。石をいくら集めても家にならぬと同様に,事実をいくら集めても学問にはならない」といっている。これはまさに,今日の「家政学」批判に適言である。かくして,「家政学」が学として成立するためには,その実態をなすものを分析し,それを綜合する原理を立てなくてはならない。その原理は何んであろうか?端的に,それは「主体性の原理―家庭は主体形成の原初的場である―」であるべきである。何故ならば,人間は家庭のなかに生れ,そこを主体形成の基盤とするからである。家庭生活研究がこの原理によって整理され,貫ぬかれ,緊密に連繋し,関係しあうことによって,一つの応用科学が成立するであろう。しかし,それは「家政学」と呼ぶよりも「生活人間学」というべきであろう。このことを論述することが,本論文の意図である。