ID | 54248 |
タイトルヨミ | メイジ 38 ( 1905 ) ネン トットリケン ノ タケシマ ギョギョウシャ ノ ソンザイ ケイタイ : トウハクグン コトウラチョウ アカサキ チク オ ジレイトシテ
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日本語以外のタイトル | Existence Form of Takeshima Fishermen in Tottori Prefecture in the Late Meiji Period : A Case Study of Kotoura Town, Tohaku District
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ファイル | |
言語 |
日本語
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属性 |
論文
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著者 |
舩杉 力修
島根大学法文学部社会文化学科
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内容記述(抄録等) | 竹島が島根県に編入された、明治38(1905)年において、鳥取県中部の琴浦町赤碕地区の住民のうち、竹島へ渡海し、アシカ漁業を行った人物の具体像、存在形態を明らかとした。具体的には、資本家=廻船業者・船頭・漁師と組織的に、竹島でアシカ漁業を行っていた。赤碕の住民が竹島のアシカ漁業に参画したのは、赤碕が、江戸時代以来海運業が盛んで、港には帆船が出入りし、廻船問屋が存在していたこと、竹島への渡海には、食料・漁具・漁獲物を運搬する帆船が必要であったこと、竹島への渡海には、沖乗り航路を通る航海技術をもつ船頭の役割が重要であったこと、明治30 年代には鉄道の開通により、海運業は衰退しており、赤碕では従来の海運業からの転換、新機軸の産業が必要とされていたこと、海運業が衰退していたものの、帆船は朝鮮の鬱陵島まで貿易をしており、鬱陵島へ渡海の際に、航海の目印となっていた竹島の存在を認識していたこと、赤碕は鳥取県有数の漁村で、様々な水産物が捕られ、加工され、さらにはシイラ漬漁業により、沖合漁業にも関与していたことといった赤碕の地理的、歴史的特性と関係していたと考えられる。
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主題 | 竹島
アシカ
海運業
航海技術
沖合漁業
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掲載誌名 |
社会文化論集
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巻 | 18
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開始ページ | 39
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終了ページ | 58
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ISSN | 18802184
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発行日 | 2022-03-10
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NCID | AA12006101
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DOI(SelfDOI) | |
出版者 | 島根大学法文学部紀要社会文化学科
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出版者別表記 | Socio-cultural Studies, Faculty of Law & Literature
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資料タイプ |
紀要論文
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ファイル形式 |
PDF
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著者版/出版社版 |
出版社版
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部局 |
法文学部
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他の一覧 |