ID | 2489 |
タイトルヨミ | レッシング ノ PANENTHEISMUS
|
ファイル | |
言語 |
日本語
|
著者 |
早川 昭
|
内容記述(抄録等) | 「人間の教育」第七十三節に於て、窮極的に把握されたレツシングの神の概念は、ここに到るまでに、幾多の曲折を経て来てゐる。啓蒙主義の嫡子として、そこから出発した彼は、その合理主義的制約をついに脱け出し得なかつたものの、認識手段としての理性をその限界にまで追ひつめることによつて、言はば、啓蒙的合理主義の限界をその内部からきはめ、その自已破壊を促したものと言へよう。彼の神の把握も亦、このやうにして啓蒙主義一般の山麓から、その絶巓への過程を辿るのであるが、ただ、この過程に於て彼は絶えず幾つかのアポリアに突きあたり、その克服に腐心せねばならなかつた。そして、彼をして同時代の合理主義の神観に飽き足らせず、このアポリアに彼を追ひ込み、同時にそれを解決せしめたものは、彼の個性的な宗致性Religiositat ゲーテの言ふWeltfrommigkeit だつたといつてよいだらう。彼自身の言葉を裏書きするやうに、彼の神の把握は、その固定的な最終の姿に於てよりも、むしろ、そこに到る精神過程に於て、より興味をそそるものを持っている。
|
掲載誌名 |
島根大学論集. 人文科学
|
巻 | 9
|
開始ページ | 44
|
終了ページ | 52
|
ISSN | 04886518
|
発行日 | 1959-02-28
|
NCID | AN00108183
|
出版者 | 島根大学
|
出版者別表記 | Shimane University
|
資料タイプ |
紀要論文
|
部局 |
法文学部
|
他の一覧 |