島根県の憲政会・立憲民政党勢力は立憲政友会の利益誘導に対し、政策と理念を整備して対抗した。そこで重要な役割を果たしたのが内閣総理大臣を務めた若槻礼次郎である。若槻の個人後援会である克堂会は松江市を中心に勢力を拡大した。若槻は自らの後援者に書簡を送り憲政会の政策と理念を訴えた。これによって憲政会は立憲青年党のような新たな政治勢力の支持を獲得した。後に立憲民政党が誕生すると、民政党は憲政会の改革的立場を継承し、島根県の政治勢力の多くを結集した一大勢力となった。民政党の系列紙である『松陽新報』が主催した島根県青年連盟大会は多くの弁士が出席した政談演説会で、政治の問題から生活の問題に及ぶまで広いテーマで議論がなされた。民政党は普通選挙に向けて公論と政策を重視した政党への転換を図ろうとしていた。一方で民政党内の対立によって県議会が混乱し、政党政治そのものへの批判が地域から高まっていくこととなった。