どの国家、民族の文学史を繙いても、文学活動が絶頂に達する黄金時代の前後には、必ず暗黒時代と称される停滞期が附随し、各国、各民族の文化にとって寄与する所のない、無価値の時代であったと叙述されるのが通例である。
筆者は、年来このことについて、我々の歴史認識の構造自体に、絶頂期の光の部分に目を奪われるあまり、他の時期が一定以上の価値を有していても、その闇の部分を必要以上に強調せざるを得ないような方向性が存しているのではないかという疑念を抱いている。とはいえ、筆者にとっても、文学の歴史的記述は、やはりわかりやすく、論理の展開上便利であるので、結局は多くを歴史的記述にたよりつつ、そこから外れた部分をことさらに強調することによって、文学史的に見逃されがちな価値を発掘すべくつとめて来た。その「価値」というのがどのようなものであるか、未だ明確な定義を下すことができないのが現状であるが、ひとまず、「一読の価値」ということばに包摂されるような、要するに個別的で情緒的な観念を、広く模索していきたい。