島根大学論集. 人文科学

ダウンロード数 : ?
島根大学論集. 人文科学 7
1957-03-30 発行

浜田市めんぐろ古墳遺物について

山本 淸
ファイル
a006007h003.pdf 2.56 MB ( 限定公開 )
内容記述(抄録等)
ここに島根県浜田市治和(旧那賀郡周布町)のめんぐろ古墳遺物について紹介かつ考察を加えることとしたのは、第一にこの一括遺物とほぼ同式の遺物の出た古墳が各地にあることからして、古墳時代中或る限られた時期に属すると思われること、第二にその中に含まれる須恵器は山陰の須恵器編年系列の中においてかなり明瞭な位置を占めること、第三に上の二つのことと関連して山陰地方における所謂後期的様相の古墳の築成されるようになる時期についてこの古墳が一つの指標たる位置を占めること、第四に従来石見の古墳の紹介されたもの極めて少く、この古墳の如きは石見としては重要な資料であること、等の諸点において無意義でないと考えたからである。
この古墳の調査の次第を略記すると、まず遺物の発見は昭和二十四年二月九日で、土地所有者宮家治佐吉氏が田地拡張工事中のことの由で、翌日これを実見した浜田市の桑原詔一氏から筆者にその通知があり、その後主要遺物の実測図をも送与されたのでその概要を知ったのが発端である。同年六月一九日主要遺物が出雲市で開かれた考古展に出品されているのを実見し、次いで同年八月十二日那賀郡川波村波子の縄文遺跡調査のついでに古墳現地並に出土遺物を発見者宅で実見、また同年九月十一日主要遺物が松江市の県立図書館に展覧の際若干の実測をなし、更に昭和二十七年八月七日浜田市に出張のついでにまた若干の実測図拓本を作った。かくしばしば実見したがその度毎に時間の余裕なく十分な記録が作れなかつたので、昭和三十一年三月二十一~二の両日遺物の保管されている浜田市周布小学校を訪れ一応の図写真等の記録を作り、また現場を再査した。しかし破損の甚しい遺物等もあり、詳細な検討や復原をする暇はなかつた。ただ一括遺物を大観する上には大した不都合はないと思うので、ここにこれについて書くこととしたのである。