愚管抄の研究は従来著作者・著作年代がます問題にされ、ついでその歴史理論・史観が研究され、先学によつてその業績が発表されているが、愚管抄の歴史思想を問題とする場合に、それがいかなる史料を用いて著作されたかを明かにすることは、著作者慈鎮の歴史に対する態度・史観を考察する、一つの通路としての意義を持つものと考えられる。愚管抄は七巻からなり、第一・第二は漢家年代と皇帝年代記で第三から第六までは著作者の言う別帖で本論に当り、最後の第七は附録として第六までに叙述された国史に対する史論が述べられている。ここでは愚管抄著作に用いられた史料の研究の一部として、皇帝年代記がいかなる原拠によつて叙述されているかを考察して見たいと思う。