島根大学法文学部紀要. 文学科編

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島根大学法文学部紀要. 文学科編 3 1
1980-12-25 発行

『国家』X巻を中心として見たプラトンの文芸論について

Plato's Theory of Art with Special Reference to Book X of Republic
小川 隆雄
ファイル
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内容記述(抄録等)
プラトンは『国家』X巻においてミメーシス(真似て描写すること)を機能とする文芸作品とその作家を強い語調で告発している。論者のなかには,プラトンがこの箇所で,「すべてのミメーシスは人間の性格に有害な影響をもたらす,しかるに文芸はすべてこのミメーシスによって創作される,ゆえに,すべての文芸は有害である」,というような文芸が本来有する固有の可能性を否定する救いようのない誤解を表明していると解釈し,しかもこのようなプラトンの見解はII巻、III巻および『法律』II巻,III巻,VII巻のプラトン本来の文芸論とは矛盾し,この箇所にプラトンの文芸論の本質を認めることはできない,と見なす人々がいる。他方では,この箇所には優れたミメーシスによって創作される理想的文芸作品をも包含するところのプラトンの一貫した文芸一般論の本質を読みとることは当然の要請でなければならないと解釈される場合もある。だが,われわれはプラトンのこの箇所の主張が少なくとも『国家』の他の箇所における主張との関連において首尾一貫性を欠いていると解する必然性はないと考えるが,また,他方,V巻で言及されているような「最も美しい人間を描く画家」の作品に類比されるような優れた文芸作品をも積極的に包括する文芸論がX巻において展開されていると考える必要もないのではなかろうか。それではX巻におけるプラトンの文芸論の真意は何であるのか,その点を次の順序で考察してゆきたい。まず,『国家』X巻の文芸論の概略を押さえ(第1節),つぎに批判の対象となっている文芸のすべてがミメーシスを機能とする限りのものであるか否かをIII巻の文芸論との関連において検討し(第2節),さらに,X巻において許容されている文芸の一つである「神々への頌歌」の性格(第3節),および「すぐれた人々への讃歌」の性格(第4節),を理解することによりプラトンにおける文芸評衙の積極面の根拠となっているものを明確化させて,それらを踏まえたうえで,X巻における存在論的観点からの文芸批判の普遍的性格を明らかにしたい(第5節)。