方言語彙資料としての萩藩の産物帳関係資料を調査するうちに、それらの相互関係を整理しておく必要が痛感された。この機会に萩藩における編纂過程を明らかにしておくのも今後の研究に有益と考え、数多い現存資料の紹介に重点をおきながら始終を概観してみたい。
本稿の記述の多くは日野巌氏の研究に負うが、新しい資料の検討と他国産物帳の調査結果を参考にした結果、日野氏の所説と必ずしも一致しない結論を述べている。例えば、
(1)産物帳下書きを丹羽正伯の内見に供したのは、元文元年一二月一〇日であること。
(2)絵図註書帳を完成し、産物帳本帳の清書本と共に江戸へ送ったのは、元文二年一〇月二八日であること。
(3)鳥田智庵自序を有する『長防産物名寄』が成ったのは、(1)(2)の間、即ち正伯の内見から絵図註書完成までの間であったこと。
(4)元文三年以降に成った現存の「産物名寄帳」「同余り物帳」その他の資料は、産物帳が完成して江戸へ送られた後に、独自に作成されたものであること。
などである。従って、既発表の拙稿に存する誤りも訂正しなければならない。
なお、関係資料の大部分は科学書院の『享保元文諸国産物帳集成』(以下、『集成』)第VIII、IX、X巻に収められ、未収の分は山口県文書館(毛利家文庫、県庁旧藩伝来記録)で容易に閲覧できる。『集成』所収の資料には(集成VIII)などと記し、引用記事には巻号と頁数を示した。