島根大学法文学部紀要. 文学科編

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島根大学法文学部紀要. 文学科編 10 1
1987-12-25 発行

デカルトに於ける超越論哲学の萌芽 : 物の存在を中心にして

Ansatz der Tranzendentalphilosophie bei Descartes
北岡 武司
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内容記述(抄録等)
近世において「超越論哲学」という用語を初めて用いたのはカントである。超越論哲学は、フィヒテ、シェリングに継承されて、やがてフィヒテのそれは、へ−ゲルの絶対的観念論との対決を迫られることになる。いま、超越論哲学、ないし、超越論的観念論の定義を詳らかにしている余裕はない。その理由はいくつかある。たとえば、カントが超越論哲学、あるいは「超越論的」の語に与える説明は、かならずしもカント自身の用語法と合致しない、というより、合致しない場合の方が多い、というのがそのひとつである。かりにその用語法をすべて吟味し、それを踏まえたうえで超越論哲学の定義を導き出してきたところで――かりにそれが可能であるとしても――、本稿の意図にとってはまったくのナンセンスであると言わなければならない。そのことについての論述は、また別の機会に譲ることにする。ここでは一応、超越論哲学の一般的な理解を確認するだけにとどめよう。すなわち、それはコギト<je pense>に基礎を置く主観の哲学であるという、きわめて大まかな説明を以って満足したい。このような知見にもとづくならば、フィヒテ、カントの哲学、また初期シェリングの哲学が超越論哲学であったということに異論はないはずである。それだけではなく、超越論哲学の発端はすでにデカルトにあったという、ラインハルト・ラウトの主張も首肯せざるをえないであろう。ラウトは未公刊の原稿で、超越論哲学はデカルトが開始してその模範を示し、批判哲学と知識学において完成を見るものであるという見解を述べている。このように超越論哲学の始まりをデカルトのうちに見ようとする動きがそろそろ出てきつつある。しかしデカルトを超越論哲学の観点から考察した研究はまだ行なわれていないようである。本稿では、デカルトに見られる超越論哲学の萌芽を、それもそのごく一部を、とくに物体の存在に関するデカルトの思想を手がかりにして、明るみに出すということを試みてみたい。