これまで縄文社会に接近を試みるにあたり、墓地・墓域の分析は極めて有効な方法論として認識されてきた。しかし対象となる社会の具体像を描くためには、墓制論や集落論および生業論等を個別独立的に語るよりも、むしろこれらをリンクさせて総合的に議論した方がより蓋然性の高い結論を得ることができるはずである。このような視点から、これまで筆者は中国地方の縄文社会を復元するにあたって、墓制論だけではなく様々な立場からのアプローチを試みてきた(山田2001a・2001b・2002a・2004a・2004b・2008など)。本稿でも墓制論にこれらの研究成果を加味させながら、地域社会のあり方について私見を述べることとしたい。また中国地方においては、上部施設や装身具および副葬品のあり方などといった死後付加属性から明確な分節構造を読み取ることは現状ではできないことから(山田2004b)、ここでは主に墓相互の空間的位置関係を問題として取り上げることとする。なお、各遺跡における墓の認定方法は、山田2004b に準拠することにしよう。