島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学

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島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 6
1972-12-20 発行

郷愁の人・ペイター

Pater, the Man of Homesickness
小林 定義
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内容記述(抄録等)
 ウォルター・ペイター(Walter Horatio Pater, 1839-94)がそれによって文名を得た「ルネッサンス研究」(The Studies in the History of the Renaissance, 1873)が世に出てから百年、彼が世を去ってから八十年に近い歳月がたつが、この間、さまざまの毀誉褒貶とともに、さまざまのペイター像がわれわれの前に提出されてきている。初期の哲学、ないし人生観を中心に描かれた「唯美主義者」という像は現在もなお生きており、その批評態度から「印象批評家」というレッテルもあたえられている。一生文体の問題に腐心し、独特の文体をつくったことから、「スタイリスト」の評も得ている。道徳的なヴィクトリア朝の思想的風土の中では「快楽主義者」という悪評も得た。また、著作の多岐にわたる内容から、ある時は「文芸評論家」、あるときは「美術評論家」またあるときは「創作家」として論じられもした。
 このようにさまざまの角度からのペイター像が存在すること自体は、彼の多才性を物語っているようで、その限りでは問題はないかに見える。だが、「スタイリスト」としてのペイターが「印象批評家」と無関係に論じられたり、「創作家」のペイターが他のペイター像と無縁にとり扱われているという事実は否めない。その結果われわれが知っているのは、相互に関連のない「唯美主義者ペイター」であったり、「美術評論家ペイター」であったりする。言いかえれば、右にあげたようなさまざまの像の背後にあって、それらを統一するペイターその人の像が欠けているわけである。
 ある時は印象批評家、あるときはスタイリスト、またある時は唯美主義者と、いろいろな衣裳をつけてわれわれの前に登場してみせるペイターの奥にある「ペイター原像」といったもの−社交界から戻って、また大学の講義を終えて、書斉に独りとなったときのペイターの胸のうち−を明らかにすることが、ペイター研究に残された重要な問題の一つではないだろうか。
 「ペイター原像」の探究の一つの試みが、本稿のねらいである。