島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学

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島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 36
2002-12-01 発行

「居場所」感覚と青年期の同一性の混乱

The sense of "ibasho(existential place)" and identity diffusion in adolescence
堤 雅雄
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内容記述(抄録等)
ある種の日常的疎外感情が,「自分の居場所がない」という言葉を通して表現されることがある。この「居場所」とは単なる物理的空間しての「場所」ではなく,自分が「居る」ことのできる,つまり自己の存在性が実感できる心理的場のことである。それゆえこの言葉の心理学的意味は,本来自明であるべき自己の実存が危機に瀕する青年期には特に重要である。近年臨床心理の領域を中心に,この「居場所」という概念を用いた論考が増えてきている。
例えば北山(1993)によれば,臨床の場で,「ある」とか「ない」とか言われる主体の事情を語る際には,それは「自我」や「自己」とは呼ばれず,「自分」という言葉が使われる。この「自分」は「自らの分」であり,そして「自分がある(ない)」とはほぼ自分の「居場所がある(ない)」の意であると論じている。
また荻原(2001)は,居場所は「自分」という存在感とともにあり,それは他者との相互承認という関わりを通して生まれ,更に自分がその世界を広げていく契機となる,という趣旨を述べている。疑いも無く,自分が自分であることは自己の内に完結するものでなく,常に他者との関係によって支えられている。その意味で,「自己」の成立には常に自己ならざる「他者」という契機を必須とするという逆説は改めて論を待たない(堤,1999)。
居場所とは自と他が交錯する場のことであり,それを通して自分という感覚が拡がったり狭まったりする,力動的な場のことである。とすれば,「居場所」には対照的な2つの面があることになる。一つはそこで他者との関係を形成し,他者によって自分の存在が確認され,求められる場,即ち自分という感覚が自己を越え,拡張していく場という面であり,いまひとつは他者との関係を離れ,だれからも邪魔されぬ自分だけの私的な世界へ閉じこもることが許される縮小の場という面である。藤竹(2000)は前者を「社会的居場所」,または「積極的居場所」,後者を「人間的居場所」,または「消極的居場所」と呼んでいる。
これらに加え,竹森(1999)や廣井(2000)など,「居場所」の臨床的意味に関する議論は盛んであるが,一方で,その実証的研究は少ない。中村(1999)は「居場所がある」状況と「居場所がない」状況とを「時」,「場所」,「人」,「行為」,「感情」,「他者」の諸観点から比較検討し,これらがなじみの有る無し,肯定と否定,ウチとソトなどと結びついていることを明らかにしている。
本研究ではアイデンティティ確立が発達的課題である青年期後期にあたる大学生を対象に,彼らが「居場所」という日常語を通して表明する意味空間がいかなるものか,またそれがかれらのアイデンティティ確立とどう関わっているのかを検証してみたい。