ID | 2520 |
Title Transcription | モトオリ ノリナガ ノ フジワラノ タメカネ ヒョウ キンセイ ニ オケル フジワラノ タメカネ ヒョウ
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File | |
language |
jpn
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Author |
Kobara, Mikio
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Description | 本稿は近世に於ける藤原為兼評の一部である。
近世に於ける藤原為兼評は、近世に於いて、藤原為兼がどのように評せられていたか、即ちどのように受け取られ、理解されていたかを見てみたいのがその目的である。 近世に於けるその受け取り方の態度の一般的特色を見ると、為兼の論評に当っては、為兼だけを評するのではなくて、彼の撰になる「玉葉集」を離れることがでぎず、また同じ京極派の「風雅集」を別にすることばできなかった。為兼をも両集をも区別せず、同一の見方で論じているのである。為兼を論ずることは、「玉葉集」・「風雅集」を論ずることであり、「玉葉集」・「風雅集」を評することは、為兼を評することであった。 そういうわけであるので、為兼評と題したのであるが、為兼について述べながらも、おのずから.「玉葉集」評にも「風雅集」評にもわたらねばならないのは、止むを得ないのである。 本居宣長の場合も、その例外ではない。 |
Journal Title |
島根大学論集. 人文科学
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Volume | 11
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Start Page | 69
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End Page | 81
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ISSN | 04886518
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Published Date | 1962-03-01
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NCID | AN00108183
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Publisher | 島根大学
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Publisher Aalternative | Shimane University
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NII Type |
Departmental Bulletin Paper
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OAI-PMH Set |
Faculty of Law and Literature
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他の一覧 |