日本列島における初期農耕集落の成立と展開は,いうまでもなく水稲農業の受容とその定着,拡大に導かれたものである。西日本諸地域では,弥生前期に沖積平野や内陸盆地に稲作集落が成立し、中期段階にはそこを拠点として多くの集落が分出した。それらは,鉄製農工具の普及が挺子となって,さらに細胞分裂的に拡大を遂げ,青銅器祭祀などで相互に結ばれた地域的統合体を形成した。
初期農耕集落のかかる展開構造と特質,ならびにそこに萌芽,成長する政治的社会の問題に関しては,近藤義郎,都出比呂志氏らが早くから論及され,近年は,資料のいっそうの増加もあって,問題がより詳細かつ具体的に分析されつつある。
筆者は1976年に,南関東の東京湾西岸地域を対象として,初期の弥生集落の定着状況とその構造について論じたが,力量不足により,考察対象の地域と時期を狭小な範囲にとどめざるをえず,古墳出現前の集団関係を解明するという全体の課題要請に十分にこたえることはできなかった。
爾後,関東地方全域で弥生時代,古墳時代の集落遺跡の調査例はかなり増加し,個々の集落構造の分析と土器の地域色にもとづく分布圏の設定が進んできた。また集落址出土の土器と古墳出土の土器を対比して,古墳出現の時期を確定する議論も関東規模で試みられている。
そうした研究状況をうけ,小論では先に論及しえなかった弥生時代後期から古墳時代前期の集落の構造と変遷を明かにし,その地域的な展開を探ることによって,かっての課題の完遂を期したいと考える。