Memoirs of the Faculty of Law and Literature

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Memoirs of the Faculty of Law and Literature 4 1
1981-12-25 発行

清代嘉慶期のアヘン問題について : 嘉慶期前半のアヘン禁令を中心として

The Opium Issue during the Chia ch'ing Period : with Special Reference to the Opium Prohibitions during the First Half of the Chia ch'ing Period
Inoue, Hiromasa
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Description
中国におけるアヘン問題は長い歴史をもつ、極めて複雑で、その性質上はっきりしない部分の多い問題である。アヘン問題としては首尾一貫しながらも、問題の意味するところは各時期ごとにその重点をかえていく。したがって問題に対する認識、対処の仕方も当然ながら変わっていく。勿論、変わるのは時期によるだけでなく、問題を認識、対処する人の階層、立場にもよるだろう。また、アヘン問題を構成する人的要素も多岐に亘っており、すべての在り方を史料中に見出すことは不可能に近い。アヘン問題の複雑且つ不分明なる所以である。
周知のように、清代道光期、アヘン問題は中英外交関係上の一大争点へとエスカレートし、中国近代史の開幕を告げるアヘン戦争が勃発した。したがってアヘン問題の研究は従来、道光期、就中アヘン戦争直前のアヘン論議を中心に行なわれてきた。しかし、道光期のアヘン問題をアヘン問題史上に正しく位置づけるためには、それに先立つ嘉慶期とそれに続く咸豊期における問題の解明がまず不可欠である。
このような問題意識から筆者はさきに咸豊期におけるアヘン問題の一端に言及した、小稿では溯って嘉慶期のアヘン問題を爼上に上したい。とは言っても、前述のようにアヘン問題は多くの顔をもつ怪物である。すべてをここで取り上げることは勿論できない。小稿では、為政者側のアヘン問題に対する認識、対応の仕方に的を絞り、具体的には清朝側が発したアヘン禁令を中心に考察していきたい。
ところで、嘉慶期も含めてアヘン戦争以前に清朝が発した禁令については既に多くの先学による言及があり、その大筋は明らかにされたといってよい。それにもかかわらず、小稿が敢えて嘉慶期のアヘン禁令を取り上げるにはそれなりの理由がある。
第一に、アヘン問題史はその発端を明末清初まで溯ることができるとはいえ、厳密な意味で嘉慶期こそはその開始期に位置するからである。開始早々における間題の在り方を正しく把握することの重要性については異論ないだろう。それに関連して第二に、従来の諸研究によって嘉慶期のアヘン問題が充分解明し尽されたとは必ずしもいえないからである。アヘン禁令についても、その存在がごく簡略に指摘されたに過ぎない。背景や内容などを含めて嘉慶期のアヘン禁令を可能なかぎり具体的に跡づける仕事はまだ残されていると言わなければならない。