Memoirs of the Faculty of Law and Literature

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Memoirs of the Faculty of Law and Literature 3 2
1980-12-25 発行

Chronique du regne de Charles IX 管見

A propos de la Chronique du regne de Charles IX
Tanaka, Ryuji
File
a003000302h014.pdf 1.99 MB ( 限定公開 )
Description
Raymond Lebegueが述べているように『シャルル九世治世年代記』(以下「年代記」と略記)について,何か新しい発見をもたらすことは,現在ではもはや殆ど不可能であろう。その源泉は非常に綿密に研究されている。特に,Louis Maigronによってなされたその作品分析は精緻を極めている。よほど角度を変えて講究し直されないかぎり,こうした領域では,これまでの成果に更に何かつけ加えるべきものを見出すのは容易ではない。
しかし,歴吏小説の評価という見地から,『年代記』についての批評を検討し,この作品を読み返してみると,これまでこの小説について論じられてきたことで十分だとは言い難いと思われる。我々の目的の一つは,このことの確認である。
Bibliotheque de la PleiadeにはいっているProsper Merimee作品集には,『年代記』ついて,かなり詳しい解説がつけられている。そこには,この小説についてこれまで論じられてきたことが,簡潔にまとめられている。
本稿では,そうした成果のうち,特にルイ・メーグロンとGeorges Lukacsの『年代記』評を参考として,この作品について考察する。それは,この二つの『年代記』評において,歴史小説としてのこの作品の論評がなされ,この小説に対する価値評価が明瞭に示されているからである。就中後者,即ち価値評価に,歴史小説を論ずる際の問題が認められるのである。
我々は,まず,メーグロンの『年代記』評を要約し、彼がこの作品に見出している長所を明らかにしよう。ついで,ルカーチの『年代記』評を紹介して,ノレカーチが剔決するメリメの欠点に注目しよう。その後,この二つの『年代記』評の検討を通して,歴吏小説を研究する場合に問題であると我々が考える諸点について述べよう。そこから,『年代記』研究,ひいてはメリメの作物の検討で,残されていると思われる課題について考察するのが,我々の第二の目的である。