現在65万人といわれる在日朝鮮人は,日本在住の外国人のなかでは圧倒的な多数を占めている。在日朝鮮人の場合,その歴史的形成の過程は,日本帝国主義の植民地支配と密接不可分の関係をもつ限りにおいて,他の在日外国人とは質を異にするという認識をもたなければならない。
すぐれて歴史の所産である在日朝鮮人問題であるにもかかわらず,その歴史的解明は不十分なかたちでしか行われていないし,そのことがまた逆に在日朝鮮人の歴史的性格を考えようともしないで,いわれのない偏見をつくっているようにも思われる。
島根県をはじめとする日本海沿岸地域は,一衣帯水の地に朝鮮半島を臨む立地条件に位置していたことから,もっとも近接した地域としての役割を果たさせられてきた。とりわけて明治43年(1910)の「韓国併合」−朝鮮の植民地化以降では,朝鮮での植民地経営会杜の設立,漁業基地の建設,定期航路の開設など,島根県当局の積極的な政策に助けられながら島根県からの人的・物的進出が推進されていった一方で,祖国を失ない,祖国の農村から排出された多数の朝鮮人を底辺労働者として受け入れてきたのであった。島根県における資本主義経済の発展過程のなかでは,朝鮮進出と朝鮮人労働老の受け入れという問題は,重要な役割を果たしたものと考えないわけにはゆかないはずである。
ただし,島根県の地域経済の全体構造のなかで,こうした朝鮮問題を解明してゆくには,現在の時点では余りにも資料が乏しすぎるし,既存の研究蓄積も皆無に近い現状からして,本稿では,基礎的な作業を行うため,在日朝鮮人の歴史的形成遇程について資料的に整理して,将来における本格的な研究展開に資したいと考えている。