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タイトルヨミ
センゼン ノ ノウギョウ セイサンリョクロン ノ サイヒョウカ ノ タメニ
日本語以外のタイトル
For the Revaluation of the Theories on Productive-Powers in Agriculture before the End of World War II
ファイル
言語
日本語
著者
鈴木 敏正
内容記述(抄録等)
 本稿の課題は,わが国の戦前における農業生産力論を再評価することの必要性を指摘することにある.
 このような課題を設定したのは,直接的には,戦前の農業生産力論はIIにおいてみるように一般にきわめて低い評価しか与えられていないからである。それは第一に,戦前における農業生産力論は,表面的には戦時下の銃後農村における「農業生産力維持拡充策」をめぐって展開されたため,そこに生まれた農業生産力論は理論というより政策論とみられる場合が多く,また,戦後の民主化の過程で戦時下の「国策」的色彩の強い議論そのものがしばしば否定的にみられているからである.とはいえ,その「農業生産力論争」については,当時の言論統制の下でいわゆる「日本資本主義論争」を封じられた進歩的・良心的研究者達が「生産力論」を通じて当時の支配機構とくに寄生地主的土地所有の批判をしようとして論争に参加したという側面があること,そこには農業生産力・技術論の一定の展開があったことも一般に認められているところである.しかしながら,その農業生産力論がほとんどかえりみられていない第二の理由として,それら進歩的・良心的研究者達が依拠したところの理論が,技術論にいわゆる「労働手段体系説」であり,機械化論=労働生産力増進論であったことがあげられる.というのは,この「労働手段体系説」は戦後すぐに,いわゆる「意識的適用説」による総攻撃をうけたのである.
また生産力論においても,1950年代前半に非常にもち上げられた,生産用具の役割をとりわけ重視するスターリンのいわゆる「二要素説」が「スターリン批判」(1956年)以後排撃されている.こうした状況の下で,とくに自然とのかかわりあいが強い農業においては戦前の「進歩的」農業生産力論者はその基本となる生産力論,技術論からしても評価されようがなかったわけである.
 しかしながら,戦後の農業生産カ・技術論は戦前に比べて飛躍的に発展したといえるであろうか.決してそうはいえないだろう.むしろ,戦前の農業生産カ・技術論をふまえていないがゆえに無用の混乱がおきている例も少なくないのである.1960年代以降の農業生産力・技術論は主として「農法論」として展開されたといえるが,その「農法」概念の様々な規定の中にそのような混乱の端的な事例をみることができる.
 以上のような状況をみるとき,戦前の農業生産力・技術論の整理・再評価をしておくことは学説史的にも,今日からみた理論上においても,一定の意義をもつといえるだろう.とはいえ,本稿において戦前の農業生産力・技術論を全面的にとらえなおし,戦後のそれと比較検討する余裕はない.そこでここでは,まずIIにおいて戦前の「農業生産力論争」が戦後においてどのように認識され評価されていたかを検討し,次いでIIIにおいて戦前の農業生産力・技術論のいくつかの積極的側面を基本的な点にしぽって示し,そうすることによって戦前の議論に対する過少評価を再検討する必要性を強調するにとどめておこう.
掲載誌名
島根大学農学部研究報告
10
開始ページ
173
終了ページ
181
ISSN
0370940X
発行日
1976-12-15
NCID
AN00108015
出版者
島根大学農学部
出版者別表記
Shimane University, Faculty of Agriculture
資料タイプ
紀要論文
部局
生物資源科学部