ID | 1064 |
タイトルヨミ | ニダイ ノ ピアノ ニヨル ジッセン キョウイク ニツイテ 3
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日本語以外のタイトル | A Practical Education with Two Pianos(III)
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ファイル | |
言語 |
日本語
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著者 |
吉名 重美
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内容記述(抄録等) | 1 序論
「二台のピアノによる実践教育I」及び「II」において、筆者は二台のピアノによる合奏について論じた。前論文「I」、「II」における内容は以下のように要約できる。 音楽が社会に存在する最大の理由は、「音」を通した人間相互のコミュニケーションに他ならないと考えられる。ピアノによる「合奏」では、まず奏者二人の創造への意志同調が基礎となっている。この同調は決して容易な妥協ではないと考える。楽器として、他のどの楽器よりも高い表現可能な能力を持つピアノは、多くの人の協力のもとで作りあげられるオーケストラ曲を、一人で、また二人で演奏することも可能である。そして技術的にいくらか未熟であっても演奏し、相手と一緒に音楽を生み出していくことが可能である。また日本の西洋音楽は明治期、精神も何もないところから始まったことにより、テクニック中心となったと言われている。このようなテクニックのみの弊害についての欠点を除く為に、二人で演奏し、教師のテクニックと学生のテクニックの一致を試み、音楽的充実と精神の充実を完成させる方向に指導する。そのためには、何が重要かということを論じた。また、Piano Duo の魅力であるかそけき感情の伝達は、何を創造するのかを考察し、次のように結論した。 Piano Duo を二人でする行為は、音覚とも呼ぶべきものを合奏で作り上げる事である。上記を研究するために、我々はBartok,B.(1881‐1945)の作品を中心として、Piano Duo の楽しさと魅力そして技術面の充実に、先達のテクニックから学びとってきた。音覚を生成するためには、教師と学生のPiano Duo が存在し、学生が次の世代の教師となり、学生とPiano Duo を組む事によって、我々の現在の音楽文化の伝達が、脈々と受け継がれるのである。また筆者の研究室における実践教育の歴史として、演奏会活動についても記述した。 今回この小論では、上記の内容をふまえてraison d'etre を、なぜPiano Duo をするのかについて、言葉を伴わない意志・伝達及び感情の表現の一端を、二台四手、二台八手のピアノ作品を基に、二人の偉大な音楽家Hans Moldenhauer とErnest Lubin の著作より考察する。 |
主題 | 二台のピアノ
Piano Duo
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掲載誌名 |
島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学
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巻 | 29
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開始ページ | 17
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終了ページ | 26
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ISSN | 02872501
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発行日 | 1995-12
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NCID | AN00107952
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出版者 | 島根大学教育学部
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資料タイプ |
紀要論文
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ファイル形式 |
PDF
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著者版/出版社版 |
出版社版
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部局 |
教育学部
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他の一覧 |