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Title Transcription
ヒカワ ヘイヤ ニオケル シツデン ノウギョウ ノ ハッタツ ト トチ カイリョウゴ エイノウ ノ モンダイテン
Title Alternative (English)
The progress of farming in Hikawa-plains where wet rice-fields are commonly, and farm management problems after the land improvement
File
language
jpn
Author
Takenami, Shigeo
Description
1.簸川平野は島根県における最も大きな平坦地帯で,いわゆる宍道地溝帯の西部に位し,斐伊川および神門川の二つの大河の沖積によって形成された地域であり,東は宍道湖,西は日本海に面し,北は島根半島を横に貫く北山山脈,南は中国山脈の支脈である標高360米の仏経山系による丘陵地帯に囲まれた地帯である。
行政区劃からいうと出雲市を真中にして東部に斐川村の大部分(旧村で出東,久木,伊波野,直江の4ヵ村)と平田市の一部(旧平田町と灘分,国富の2ヶ村)を,西部に大社町の一部(旧荒木村)と出雲市の一部(旧西浜,長浜,神西,神門の4ヶ村)から成る。この三つの地区はそれぞれその性格を異にする。しかしながら一般に簸川平野の農業といった場合,その特徴は①水田率高く,②湿田が多く,⑧経営規模が大きいが,④水稲単作型であり,且つ⑤農家率が高い等の諸点であり,これらの特徴を最も完備している地域は斐川村,特に斐伊川本流と新川廃川跡に囲まれた地区であろう。斐川村は昭和30年4月出東,久木,伊波野,直江,荘原,出西の6ヶ村が合併して出来た村で,総面積79.41<km>^2,耕地而積3,200ha,総戸数4,200戸,うち農家数3,200戸で島根の穀倉といわれ,全国屈指の大村である。本稿においては簸川平野における湿田農業の発達をとりあげるが,簸川農業を代表するものとして斐川村を選んだのは以上の理由による。さらに後段において斐川村内において最も代表的な地区として旧出東村をとりあげた理由も同様である。
2.簸川平野における農業の発達は大きく二つの段階にわけてとらえることが妥当であろう。前述せる通り,簸川平野は山陰第二の大河,斐伊川の流砂の沖積によって形成されたもので一般に標高が低く,さらに平野の東部を貫流する斐伊川は典型的な天井川で,特に斐川村において水田の大部分が低湿地にある。このような自然的条件に適応しながら土地生産カをあげるために打ち立てられたのが簸川の高うね作り―蓿苜栽培という特徴的な農法であった。この高うね―苜蓿農法がどのような杜会経済的条件のもとに,どのような過程を経て展開されて行ったかという視点からの考察が簸川平野にわける農業の発達をとらえる第一の段階である。
 次の段階は昭和28年県営出東村外6ヶ村農業水利改良事業が着工された以降における発達段階である。この段階では湿田という条件が全面的に否定される。土地改良によって農業生産の基盤である土地条件が変化し,それにともなって簸川農業が直面しなければならなかったいろいろな問題,さらに農業経営構造の変化を通じてその発展の方向はどうであったかという問題―こういう視点からの考察を第二の段階とする。
Journal Title
島根農科大学研究報告
Volume
9
Start Page
(A-3)14-30
ISSN
05598311
Published Date
1961-03-31
NCID
AN00108241
Publisher
島根農科大学
Publisher Aalternative
The Shimane Agricultural College
NII Type
Departmental Bulletin Paper
OAI-PMH Set
Faculty of Life and Environmental Science
Remark
A,Bを含む
開学十周年記念号(Commemoration Number for the 10th Anniversary)
他の一覧